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 とても、とても不思議な一日でした。

 ゆっくりめに起床した朝。
 陽はようようと昇っている。
 たまった洗濯物を片付けなければ。
 急いで洗濯機を回す。
 昨夜(と言っても午前4時)織り上げたばかりの作品を横目に見つつ、まぶしい陽のもとに出る。
 太陽の光は、ただそれだけで僕の気分を高揚させる力が在る。
 今日は行く所がたくさんだ。
 いつもながら想う。
 やりたい事、行きたい場所、会いたい人がいるって事は、しあわせなことなんだよな。

 ひとしきり、家でしか出来ない事を片付けて井の頭線へ。
 電車へ向かうホームの途中。
 サングラスをかけた女性が後ろから小走りに駆け寄ってくる。
 「すみません、そのパンツうさぶろうさんのですか?」
 なんでも、織物をずっとしたくてようやく始めて、付きたいと思う先生に教わる為、月に一度那覇に行って織りや染めを教わっているそう。
 今日もこれから青山で初めて藍染めをするのだそう。
 嬉しそうに、楽しそうに、織りの事、日々の事、仕事の事、パートナーの事を話す彼女との吉祥寺〜渋谷間はなんとも楽しいものでした。
 そうして足は新橋へ。
 先週オープンしたばかりの「手織り工房仁佳」さんへ、お祝いの言葉を届けに。
 はじまったばかりの空気は場所も人も真っ白で、これからたくさんの色に染まりながら、仁佳の色になっていくのだろうと思う。

 次は京橋へ。
 「黒須昇」さんの画を観に。
 たびたび通う「アートスペース繭」さんで開催されている。
 DMの画と文に魅かれて、それ以外何も知らずに行く。
 作品鑑賞は、予備知識が無ければ無いほど面白いと思うんだ。
 画に眼が向くようになったのも、織りを始めてから。
 個性とはなんぞや。
 表現をして生きるとは、どうことぞや。
 知れば知るほどに、深みにはまる。
 とどのつまり、モノとの出逢いは人との出逢いなんだよな。
 ギャラリーオーナーさんとの談笑中、ふと入ってきた女性もまたギャラリーのオーナーさん。
 とってもポジティブな空気を纏いながらとある展示会を紹介してくれました。

 「鎌田紀子 展」
 DMの作品から醸し出される雰囲気は、おどろおどろしいというか、怖いというか、気持ち悪いというか。
 とにかく「異形」であることは間違いないのだが、とても気持ちよく進めてくれた言葉に乗って、予定に無い場所へ向かう。
 B1F。
 無音の空間に在るその作品達は、声なき声を発している様な存在感で。
 僕の背筋は声にならないモヤモヤを感じつつ、眼を背けたくなる様な気さえしつつ。
 それでも眼を離せず、どうにかこうにか向かい合いつつ、作者である鎌田さんとお話をしてきました。
 作品に意味は込めない。
 好きな物を形にする。
 つくりたい時につくる、、、、、、、。
 話せば話すほど、その作品達は表情を変え、僕に語りかける言葉も変わり、でもそれでも。
 それでも、涙が滲んでくるほどのエネルギーはどこから来るのでしょうか。
 そのモノに込められた想いが無いのであれば、そこで感じる気持ちはきっと、僕自身の気持ちなんだろうな。
 人の作品を見ながら、自分自身をみているんだろうな。
 それでも言葉にできない感情に戸惑いながら、それでも、この創り手と判り合いたい想いにかられ、ツギハギの言葉を並べながら、結局見えたのは自分自身だけでした。
 「創ること」の無限性に、可能性と少しの戸惑いを感じつつ、それでも「創ること」は楽しいのだと。
 「創ることって面白いですね」
 鎌田さんは、子供の様な無邪気な笑顔で
 「はいっ!」
 と応えてくれました。
 
 階段を上がれば陽も少し傾いてきて、空気もひんやりしてきていて。
 滲んだ高層ビルたちは、やっぱり無機質なんだけれど、そんな土地にこんな生き物くさいモノたちが集まるなんて、この状況もまた不思議なものだなーと、想うのでした。

 15時を過ぎて久しぶりの青山へ。
 「工房タリフ」さんの展示会。
 綾織りという組織の変化を、サンプル織りと共に見せていただく。
 「伝える」ということ。
 そこには人がいて、人の数ほどの想いがあって。
 正解も間違いも無いと言うこと。
 洋の織りと和の織りの考え方があるということ。
 いわゆる「基本」ということ。
 糸、という素材の事。
 自分は何がしたいのか、向いているのかということ。
 合う、合わないもひとそれぞれ。
 だからこそ面白い。
 向かう方向は違えど、共有することの多い場でした。

 青山という場所は、それこそ10年前。
 必ず週に一度は足を運び、お店を回っては、心を躍らせた場所です。
 歩いて渋谷へ向かう途中、見たことのある造形が室内前面にディスプレイされた空間に眼を取られる。
 
 「木村浩一郎」さんのお店だ。
 おもむろに足を踏み入れたらご本人もいて。
 お久しぶりの再会に、僕の事を覚えていてくれたことにも喜びつつ、ひとしきり会話を楽しむ。
 伝統と革新。
 東京と地方。
 ものづくりをするということ。
 自分の美しいと想うものを形にするということ。
 普遍的なものがあること。
 誰に伝えるかということ。
 アナーキーであるということ。
 自分が産み出したものを愛するということ、、、、、、。
 話題は多岐にわたりましたが、そこに明確な「自分」という存在があって、「想い」と「技術」と「偶然」があって、「創り続けること」があって。
 一人の人間同士で、感覚的な事も含めた話が出来るということは、とっても心豊かな経験になる。
 話をしてくれる人がいる。
 僕も、「惜しみなく出す」ことのできる創り手で在ろうと、心に刻む。

 いつの間にか陽もしっかり暮れて、最後は新代田へ。

 女流書家である、「中山雅心」さんの個展が本日最後の目的地。
 「ダイタデシカ、」という、なんとも柔らかい雰囲気のお店が会場です。
 初めて来たのに、前にも来た事があるような、ずっとそこに在る様な。
 とても気持ちのいい空気のあるお店でした。
 書に対してはまだまだ数も見たことありませんが、と言っても、文字は生まれてこの方31年、ずっと書いてきている訳で。
 人の文字もたくさん見てきている訳で。
 プロ、というのは、どれだけその対象に意識を深めて向けられるか、だと思うのですが、なるほどなるほど。
 美しく、面白く、造形のような文字もあるんだな、と。
 彼女の人柄も知っているからか、より、文字に対する愛着が湧く作品たちでした。



 今日はたくさんの人に出逢い、たくさんのモノと出逢い、意図して動く事とそうでない事の偶然性と必然性を感じ、動けば動くほど、必要な事は向こうからやってくるのかもしれないな。と、感じています。

 何処へ行き、誰と出逢い、何をし、何処へ向かうのか。

 作為の外の事は、いつも身近にあって、そこに身を委ねることができるかどうかで、暮らしの味わいは簡単に変える事ができるということ。
 めまぐるしく変わる状況も、自分で決めた。という事実が根底に在れば迷う事も、惑う事も無いということ。
 経験が、体験が僕に言う。
 
 想う道を進めよ。
 必要なものはすでに、そこに置いてあるから。
 ちゃんと足下見て、それを拾えよ。
 そうして、それと共に、進めよ。








 
 
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by pops-fabric | 2014-11-10 23:45 | 日常のこと

 オーバーショットのダイヤ柄を織り上げ。
 この柄は二作目。

 高ぶった気持ちをそのままに

 織りたい時に、その時織りたいように。
 
 作為の外にある美しさを

 自らの中にある美しさを

 向かい合うようで

 共に先を見ている様な

 そんな感覚で。



 モノとは、人が使ってこそ、人の暮らしに寄り添ってこそ、人と共にあってこそだと考えています。

 つまり、完成はもう少しあと。

 あなたと共に暮らしてこそのモノがあると、考えています。





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by pops-fabric | 2014-11-10 03:49

3年前、STOFとのお付き合いが始まった時にたーっくさん織ったパターン。

「タテ糸は黒、ヨコ糸はストレッチが効いていれば後はお任せします。」

織りを始めて半年くらいの僕に、投げかけられた言葉。

どれだけ僕の背筋を伸ばしてくれたか分かりません。
どれだけ僕の創作意欲を掻き立ててくれたか分かりません。

そうして、今も同じパターンを織ってみる。
同じパターンではあるけれど、どこをとっても同じパターンでの配色はありません。
同じようで、同じでいない。
ただ、ただ、ひたすらにその時々の浮かんだ色を重ねていく。
ただ、ただ、無心に、織る。

原点に返る気持ちで。

始まりの事を忘れなければ、どこへ行こうとも、ちゃんと歩ける。
思った方向へ進める。

始まりが僕に、新しい道を示してくれる。




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 戦争に「美談」や「ドラマチックな出来事」なんてない。
 あるのは、ただ「人が苦しみ、絶望に追い込まれた」現実だけだ。

 映画を観ていて、そんな想いがわいてきました。

 もし美談があるとしたら、ドラマチックな出来事があったとしたら、それは後世の人間の解釈の仕方なのでしょう。
 人は、辛く、苦しい、悲しい出来事は忘れるように出来ていると聞いた事があります。
 それでも、理性では「戦争の事は忘れちゃいけない」と知っているから、あの手この手の表現を使い、今の時代に戦争のことを伝えてくれているのだけれど、「ひろしま」を観てしまったら、今までに観た戦争映画はすべてフィクションのように想えてしまいます。
 それくらい衝撃的な内容でした。
 
 原爆投下から8年後の広島で撮られた映画。
 被爆者を含む約9万人のエキストラが出演した映画。
 小学生の頃、顔をしかめながらも眼が離せずに読んだ漫画「裸足のゲン」。
 その描写がそのまま映し出されているようでした。
 実際に原爆を体験した人たち、被爆者の姿を見た人たちが演じている映画です。
 当時の広島市長はこの映画の制作を知った時
「各家庭から最低一人はエキストラを出すように」
 と言ったそうです。

 肯定的な気持ちでなんて、観れやしません。
 でも、知らなきゃいけない。
 そして、これからの人たちに伝えなくちゃいけない。
 もっと知識が欲しい。
 伝える術が欲しい。
 想いだけじゃどうにもならない現実も、あるんだから。
 僕はもっと、知識が欲しい。
 ほんとうのことが知りたい。
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by pops-fabric | 2014-11-06 23:43 | お知らせ

 あぁ、そうだよな。
 僕は共有したいんだなー、と。
 色んな物事を、感じる気持ちを、起こった出来事を。
 タマネギをじわじわ炒めながら、そんな事を想っていました。

 最近よくカレーを作ります。
 いままで作っていたそれとは違い、最近はベジカレーに凝っています。
 カレーって、国民食って言えるくらい、ほとんどの人が幼少期から食べていると思う。 
 そして、嫌いな人ってあんまりいないと思う。 
 (僕の仲間で、カレー苦手なやついるけど)

 でも、嗜好や思想、体質の問題で、お肉や乳製品を食べる事が出来ない(しない)人たちがいる。
 いわゆる、ベジタリアンやビーガンと呼ばれる人たち。(認識違いがあったらごめんなさい。)

 そんな人たちとも、「食」の喜びを通して感覚の共有が出来たらどんなに楽しいでしょう。
 社会の中でマイノリティである彼、彼女たちを基準に、生きる事の根源である「食」を共有出来たら、どんなに豊かなことでしょう。

 僕はベジでもビーガンでもありません。
 お肉、食べたら美味しいって思うし、魚も相変わらずしっかり食べちゃってる。
 でも、それらを食べなくちゃ生きていけない訳ではない。
 タンパク質をどこから摂取するのかという話も在るとは思うのだけれど。

 カレーって美味しい。
 それこそ、飲み物かと思うくらいガブガブいけちゃう。
 スパイスの魔力? 
 ブレンドも色々、香りも色々。
 つくること全般に興味のある僕からしたら、カレーが出来上がる過程もとても気になる。
 飴づくりをしていた時から、今までずっとある気持ち。
 「人と共有したい」
 という欲。
 そうして僕は今、「さをり織り」をしているのだけれど、共有することの楽しさと難しさは常に隣り合わせ。
 だからこそ、共有する事に対する欲があるのかもしれません。
 感覚は人それぞれ違くって、価値観も違くって、味覚ももちろん違くって。
 でも、共有する事が出来る部分って必ずあると想うんですよねー。
 うん、あるよなぁ。
  
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 世の中には知らないことがいっぱいいっぱいあって
 それは知らなくても生きていくことは充分に可能で
 そしてそれは、しっかりと幸せな人生であって
 知らないことは罪ではないよなーと思ったりします。
 ただ、「知らなきゃいけないことを知ろうとしないこと」は罪だよなーと思います。

 でもやっぱり日常はとてもとても忙しくって
 目の前にやらなきゃいけないこともたくさんあって
 やりたいこともたくさんあって。
 気がつけばもう11月で
 あっという間にあけましておめでとうございますですよ。

 優先順位は人それぞれで良いと想います。
 ただ、「戦争」のことは優先順位、かなり高いと想っています。
 
 「ひろしま」という映画がある、と知らせてくれた方がいました。
 戦後8年目の広島で、50万人の教職員がお金を出し合い、被爆者8万8500人の広島市民がエキストラで出演しているそうです。
 知らなきゃいけないことを知る為にも、観ておきたいと想いました。

 以下、チラシから転載します。
 少しでも興味がわいて、お時間作れる方は是非。


 「50万人の教師達が資金を出し、広島市民やく9万人が協力出演しました。それは一重に核廃絶と二度と戦争はしないとの強い想いと願いと誓いでした。映画は1953年の夏に完成しましたが、配給会社から3シーンのカットを要求されました。そのシーンは事実を描いているのでカット出来ないと、制作者は拒否しました。その為に全国での配給上映が出来なくなり先生達の自主上映に限られてしまったのです。核廃絶と戦争反対、そして恒久平和を願った広島市民の情熱は無惨にも挫折させられた、、。しかし、フィルムの中にはその情熱は今も残り、新たな情熱の結晶が輝きスクリーンに燦然と輝いています。是非見てください。是非知ってください。その情熱を。そして奇跡をおこす情熱の一人となってください。」

 映画「ひろしま」奇跡への情熱・・プロジェクト代表 小林一平

上映会場

 11月5日(水) 国分寺いずみホール  国分寺市泉町3−36−12
                     ①15:00〜17:00   ②19:00〜21:00
                     042−323−1491

 11月6日(木) たましんRISURUホール  立川市錦町3−3−20
                     ①15:00〜17:00   ②19:00〜21:00
                     042−526−1311



 僕はお休みがたまたまかぶったので行けます。
 よかった。
 公式ホームページは無い様なので、Facebookページのリンクを張っておきますね。


 なかなか観れる機会の無い映画だと想うので、もし身近に興味の在りそうな人がいる方はお知らせしてあげてください。


 では!




 
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by pops-fabric | 2014-11-04 03:21 | お知らせ

 僕が器に興味を持つようになったのはいつからでしょうか。
 明確に覚えているのは、中園晋作さんの器に出逢ってから。
 そして、mist∞という空間に、存在に出逢ってから。
 そもそも、ぼくはなんでこんなにも器に、mist∞という場に想いを馳せるようになったのか。
 それはこのブログからでした。
 今読み返せば、なんやサラリと読めてまうやないかい、なのですが、当時の僕はなぜか涙ぼろぼろ流しながら朝っぱらにこの文を読んで、そこに確かな愛の存在を感じ、mist∞という場に通うようになったのです。
 そうして、数あるモノ、場の中から、僕なりに意味を見出し、mist∞で購入する、という事にすら価値を感じ、器であり、お箸であり、籠であり、水筒であり、そこにモノがある限り、存在するであろうつ創り手の「想い」にも想いを馳せるようになったのです。
 それはもちろん、僕も創り手の一人ということも関係しているのだろうと想います。
 だからこそ、人の手の痕を感じる、意志を感じるモノに魅かれるようになったのだと、想います。

創ること、生きること、これはもう、完全にイコールで結ばれています。
何も、モノに限った事ではなくて、「何かを産み出す」こと。
それは、無意識でも人間それぞれがしている事なんですね。
日々の食事ですら、「創ること」だと感じています。
そこに意識を向け、想いを人一倍傾けるのが僕たち創り手であるだけで、みんな誰もが生産者なんだと。
そう感じています。
そうして「自ら産み出す」ことの楽しみを知ってしまったら最後、循環型社会形成の一員にもれなく仲間入りですよもう。

 何が良いとか、悪いとか、合うやら合わないやら、それはみんな個人が決めたらいいんですよね。
 自分自身の価値基準で。
 自分の肌と、自分の暮らしと、自分の「今」と「これから」に寄り添う形をそれぞれに見つけられたらいいんですよね。


 器と僕と。
 僕はこれからどうやって生きて行くのか。
 必要な物はそんなに多くない。
 それでも、手にしたい器がある。
 モノがある。
 それは物欲なんて一言じゃくくれないほどの、僕の欲求なんだと想います。
 そうして選んだ器を手にすること。
 大きな経験値となっています。
 
 まだまだ先は長い。 

 僕自身の器もまた、不確定要素の多い形で在ります。
 それを「可能性」と呼べたなら、
 僕はまだまだ何者にでもなれるし、どこまでだって行ける。
 
 そう想っています。




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