カテゴリ:ひとりごとのひとりごと( 112 )


 物事にはいつだって

 終わりと始まりがあって

 それはふとした時にやってきて

 いつの間にか

 出来事の渦中にのめり込んで行って

 そうして迎えた終わりは

 いや、そうして決めた終わりは

 いつだって「終わり」は自分が決めるものなんだということを

 気がつかせてくれる

 だから、自分はまだ終わっちゃいないと

 そう想えるなら

 無様にでもそう想えるなら

 それほどまでにのめり込んでいるんだよ、と

 探した言い訳を武器に

 男はみんな馬鹿なんだよ、と

 女だからしょうがないのよ、と

 性別のせいにして

 思いっきり胸張って進めばいい

 笑いたいように、笑えばいい



 
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 あぁ、そうだよな。
 僕は共有したいんだなー、と。
 色んな物事を、感じる気持ちを、起こった出来事を。
 タマネギをじわじわ炒めながら、そんな事を想っていました。

 最近よくカレーを作ります。
 いままで作っていたそれとは違い、最近はベジカレーに凝っています。
 カレーって、国民食って言えるくらい、ほとんどの人が幼少期から食べていると思う。 
 そして、嫌いな人ってあんまりいないと思う。 
 (僕の仲間で、カレー苦手なやついるけど)

 でも、嗜好や思想、体質の問題で、お肉や乳製品を食べる事が出来ない(しない)人たちがいる。
 いわゆる、ベジタリアンやビーガンと呼ばれる人たち。(認識違いがあったらごめんなさい。)

 そんな人たちとも、「食」の喜びを通して感覚の共有が出来たらどんなに楽しいでしょう。
 社会の中でマイノリティである彼、彼女たちを基準に、生きる事の根源である「食」を共有出来たら、どんなに豊かなことでしょう。

 僕はベジでもビーガンでもありません。
 お肉、食べたら美味しいって思うし、魚も相変わらずしっかり食べちゃってる。
 でも、それらを食べなくちゃ生きていけない訳ではない。
 タンパク質をどこから摂取するのかという話も在るとは思うのだけれど。

 カレーって美味しい。
 それこそ、飲み物かと思うくらいガブガブいけちゃう。
 スパイスの魔力? 
 ブレンドも色々、香りも色々。
 つくること全般に興味のある僕からしたら、カレーが出来上がる過程もとても気になる。
 飴づくりをしていた時から、今までずっとある気持ち。
 「人と共有したい」
 という欲。
 そうして僕は今、「さをり織り」をしているのだけれど、共有することの楽しさと難しさは常に隣り合わせ。
 だからこそ、共有する事に対する欲があるのかもしれません。
 感覚は人それぞれ違くって、価値観も違くって、味覚ももちろん違くって。
 でも、共有する事が出来る部分って必ずあると想うんですよねー。
 うん、あるよなぁ。
  
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 僕が器に興味を持つようになったのはいつからでしょうか。
 明確に覚えているのは、中園晋作さんの器に出逢ってから。
 そして、mist∞という空間に、存在に出逢ってから。
 そもそも、ぼくはなんでこんなにも器に、mist∞という場に想いを馳せるようになったのか。
 それはこのブログからでした。
 今読み返せば、なんやサラリと読めてまうやないかい、なのですが、当時の僕はなぜか涙ぼろぼろ流しながら朝っぱらにこの文を読んで、そこに確かな愛の存在を感じ、mist∞という場に通うようになったのです。
 そうして、数あるモノ、場の中から、僕なりに意味を見出し、mist∞で購入する、という事にすら価値を感じ、器であり、お箸であり、籠であり、水筒であり、そこにモノがある限り、存在するであろうつ創り手の「想い」にも想いを馳せるようになったのです。
 それはもちろん、僕も創り手の一人ということも関係しているのだろうと想います。
 だからこそ、人の手の痕を感じる、意志を感じるモノに魅かれるようになったのだと、想います。

創ること、生きること、これはもう、完全にイコールで結ばれています。
何も、モノに限った事ではなくて、「何かを産み出す」こと。
それは、無意識でも人間それぞれがしている事なんですね。
日々の食事ですら、「創ること」だと感じています。
そこに意識を向け、想いを人一倍傾けるのが僕たち創り手であるだけで、みんな誰もが生産者なんだと。
そう感じています。
そうして「自ら産み出す」ことの楽しみを知ってしまったら最後、循環型社会形成の一員にもれなく仲間入りですよもう。

 何が良いとか、悪いとか、合うやら合わないやら、それはみんな個人が決めたらいいんですよね。
 自分自身の価値基準で。
 自分の肌と、自分の暮らしと、自分の「今」と「これから」に寄り添う形をそれぞれに見つけられたらいいんですよね。


 器と僕と。
 僕はこれからどうやって生きて行くのか。
 必要な物はそんなに多くない。
 それでも、手にしたい器がある。
 モノがある。
 それは物欲なんて一言じゃくくれないほどの、僕の欲求なんだと想います。
 そうして選んだ器を手にすること。
 大きな経験値となっています。
 
 まだまだ先は長い。 

 僕自身の器もまた、不確定要素の多い形で在ります。
 それを「可能性」と呼べたなら、
 僕はまだまだ何者にでもなれるし、どこまでだって行ける。
 
 そう想っています。




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 「当たり前」なんてこと、どこにもないんだよなー

 ふと思いました。

 つくばに戻ると、自然と気が抜けて行く自分がいます。
 駅から実家まで車で約25分。
 街灯もどんどん少なくなり、夜空が大きくなっていって、星が数を増していく。
 あの頃は一目散に飛び出したかったこの環境が
 今はとっても愛おしい。
 
 八人家族で暮らした家は、
 いつの間にか一人と三人が暮らす家になり、
 それでも、「家族」の繋がりは確実に広がっているように感じる。

 一歳になったばかりの甥っ子と僕は、
 相変わらずうまくコミュニケーションが取れないけど
 それでも、同じ家にいることができる。

 
 今のこの現状があるってこと
 織りと共にある暮らし。
 人との関わり合いで生きていけていること。
 いつの間にか僕は、あの頃思い描いた場所に立っているのかもしれない。
 手段は違えど、それが思う方向に足を進めていった結果なら
 今こそが未来であり、未来になっていくんだなー、と。
 新しい出逢いや、出来事がある度に同じ事を想います。


 でも、それは当たり前じゃない。
 かといって特別なことでもない。
 ただ、ただ、起きたこと、起こったこと、起こしたこと。

 ただそのことに感謝を。
 慈しみを。
 愛を。

  

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 僕は織りの中に見たことの無い世界を見たくって。
 例えばどこかで見たことのある織り模様であったとしても
 それを「僕」という人間を介したら、どうなって現れるのか。
 それが一番見たいんですね。
 だから、実はその結果が「ありふれていてもいい」んじゃないかなって。
 どこかで少し思っています。
 むしろそれは、安心に繋がるんじゃないかって。

 僕は特別な人間なんじゃないかって思う反面
 そんな人間こそありふれているんだぜって思う。
 特に「表現」の世界には、それこそ。

 だから僕は、いっそのことありふれたい。
 真っ当に人の道を歩みたい。
 それこそなかなか簡単ではないのだけれど。
 意志を持って歩みたい。




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鬼子母神手創り市の準備もしつつ

その先にある工房イベントの準備をしつつ

意識の先には、今月末のオトノハ朝市で大団円を迎える予定でありつつ。

夏休みこそ、こぞって製作の予定でありつつ、

あの人にも会いに行きたいなぁ、とか。

あのうたも聴きに行きたいなぁ、とか。

事務仕事がまったく苦手なことを再認識する日々でございますます。

この、「つくりたーい!!!!」というフラストレーション?!が今月の市でどう出るのか。

いやいや、そんな大したものじゃござんせん。

ありふれた気持ち。

ありふれた感情。

「つくること」が好きであればなおのこと。

ありふれたもの、って見過ごしちゃいけない。

大切だから、必要だから、たくさんある。

自分の気持ちに、自分が疲れちゃわないように。

あんまり大きいと、たまーに苦しくなっちゃいそうだけど

その豊かさを意識しながら。

皮膚で、内蔵で、感じながら。

今日も、生きている。




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 ふとベランダに目をやると

 サボテンから新芽が出ていた

 今年始めの大雪にヤラレて枯らしてしまったと思っていた

 叢の中で出会ったサボテン。

 鉢植え生物との暮らしは初めてだった。

 大層ヘマをやったものだと落ち込んだけど

 枯れた訳ではなかったんだね。

 生き物ってすごい

 生き物の力ってすごいんだね。

 そう

 生きている者は力を持っているんだね。





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絶対の正解は無くとも、絶対に間違いはある。
そう想っていましたが、「絶対に間違い」ということも実は無いのかもしれない。
 
官邸前の抗議行動に参加して、一夜経って、今。
そんな気持ちがあります。

デモは国民に与えられた権利であり、正当な抗議行動です。
しかし、全ては体制側が決めたルールに沿ってのものでした。

自由ってなんだ?
公ってなんだ?

それでも、人々の叫びは止まることはなく、大きさは増すばかり。
そこには笑顔なんてあるはずも無く、ただただ、悲痛な想いが渦巻いていました。

「集団的自衛権反対!」
「安倍は辞めろ!」
「安倍を倒せ!」
「9条壊すな!」
「閣議決定即時撤回!」

戦いたくないから、戦争なんて嫌だから、人を殺すなんてしたくないから。
だから、今、戦う。

結局戦うしか無いのでしょうか。

デモは非暴力の戦いです。
抗議行動は「声を上げる」(行動に移す)ことでそれぞれの姿勢を表現することだと思っています。
 
でも、戦いは戦い。
戦っている所に笑顔はない。

そのことがどうしても辛かった。

シュプレヒコールを先導する者を囲う19人の警官。
通行規制。
もはやそこに対話はありません。
殺伐とした空気が充満していました。

それでも、今、辛くても、後で笑う為に。
愛する人と、子や孫たちと笑って暮らすために、今、心を傷つけているのでしょう。

僕は最後まで、声を大にし、叫ぶことができませんでした。
ただ、その場にいて、現状を見つめることしか出来ませんでした。
僕にあったのは「怒り」ではなく、「寂しさ」や「悲しさ」でした。
想像力が足りないのかもしれません。
まだ、その場にいても、人ごとなのかもしれません。
大切な人を失ってから、声を上げても遅すぎることも分かっています。
でも、叫べませんでした。


一夜経って、安倍さんの会見を見ました。
何も知らずに、ただあの会見だけを見たら、大概の人は何の疑問も持たないのでしょう。
それくらい、落ち着いて、しっかりと、
「なぜ、集団的自衛権が必要か」
「憲法解釈の変更をするのか」
を話していました。

抗議行動の様子もテレビではほとんど流れていないそうですね。
新宿であったあの痛ましい出来事も、テレビではほんの少しの局が報道しただけとか。

情報操作。
印象操作。

色んな思惑と、想いとが廻っています。
それぞれが真剣に考えて、考えて、考えた結果なのでしょう。
「平和の党」と言っている公明党の山口さんが同意を示したのも、明確な理由があるのでしょう。
あとで笑えればいいと想います。
でも、不安と共には進めない。
目隠しをしたままじゃ進めない。


全部を理解するなんて不可能だし、出来っこないけど。
でも、理解したいと想っている。
だからちゃんと、話しておくれよ。
足りない所は勉強するよ。
だから、もう少し、こっちの話も聞いておくれよ。
緊急閣議だなんて言って、慌ててバタバタ決めないでおくれよ。
不安に不安を掛けても肯定になんてなりっこ無い。


まったく、心落ち着かせてなんて、いられやしない。
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 集団的自衛権の行使には「宣戦布告」が必要だそうです。


宣戦布告とは、相手国に戦争行為を開始する宣言です。

日本は戦争をしない国じゃなかったのか。

戦争には懲りたのではなかったのか。


色んなことを言って、安倍さんたちは押し切ろうとしていますが、絶対良くない。


ーーーときの政権が「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由」などが「根底から覆される明白な危険がある」と判断した時に行使――ー


と言っていますが、僕は集団的自衛権容認によって

「国民の生命、自由」などが「根底から覆される明白な危険が起こりえる」

と感じています。



これは困った。

昨夜も官邸前では4万人ほど、反対の人が集まったそうです。
今日も日中から集会が行われているようです。

夕方くらいには時間が作れそう。

僕も今日は官邸前へ行きます。

まったく、みんな暇じゃないんだから、家族との時間だったり、好きな人との時間だったり、家の掃除とかね、犬の散歩とかね、色々しなくちゃいけないんだから、安心してそーゆー当たり前のことを当たり前に何の不安も無く出来るような世の中にしなくちゃいかんです。

もちろん僕だって暇じゃない。

でも、行かなきゃいけない。

どうしたらいいかわかんない。

でっかい声で「戦争反対!」なんて叫べないと思う。

でも、戦争はやっぱり嫌だ。

だから、せめて、行かなくっちゃ。

そんな気持ちです。


ちいさいころ、僕は寝る前にお母さんと一緒に仏様にお線香をあげていました。

お線香の数だけ、祈りを込めていました。

あげていたお線香は毎日3本。

・火山が噴火しませんように
・洪水が起きませんように
・戦争が起きませんように


もうすぐ、戦争が現実になる。

僕らが日本を戦争出来る国にした世代になる、なんて。

絶対、いやだ。


正直、デモ、集会に行くこと自体が「不安」だったりします。

でも、行ってきます。
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ずいぶんとご無沙汰していたような気がします。
いやはや、実際ご無沙汰ですね。

あれもしたい、これもしたい。
もっとしたい。
もっともっとしたいんだよ。

って。

そうして、来るもの拒まず、去る者は無く。
たくさんの気持ちいい人たちとの繋がりは増えて行く一方で。
なんて満たされた時間だ。
暮らしだ。
大げさに言えば、人生だ。

いや、大げさじゃないですよね。
今、この時が人生で、この時間、ひとつひとつの積み重ねなんですよね。

振り返る過去にはいつも笑顔があって
それはなぜかってーと
今、僕はそれなりにでもちゃんと、生きているからであって

だから、どんなに辛い時があっても、
作り笑いでも、少しでも笑おうって、いつの日か決めました。
そうすれば、どんな出来事も、笑いのある記憶になる。

伝えたい、知らせたい人や、出来事が沢山あります。

国吉亜耶子and西川真吾Duoのライブを見たこと。

MOROHAのライブを見たこと。

とてもいい作品が織り上がったこと。

気持ちのいい人と出会ったこと。

不思議な偶然が重なったこと。

おいしいごはんができたこと。

笑えたこと。

泣けたこと。

「遺言」という映画を見たこと。

優しい本にであったこと。

パン教室に行ったこと。

友人に子供が産まれたこと。

自炊のご飯はとてもおいしくっていつも食べ過ぎること。

明らかに年下のあいつの薬指に何かがキラリとはまっていたこと。


いろいろ、いろいろあります。

そうしてこうして、今を、紡いで行こうと思います。



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