2014年 11月 06日 ( 2 )


 戦争に「美談」や「ドラマチックな出来事」なんてない。
 あるのは、ただ「人が苦しみ、絶望に追い込まれた」現実だけだ。

 映画を観ていて、そんな想いがわいてきました。

 もし美談があるとしたら、ドラマチックな出来事があったとしたら、それは後世の人間の解釈の仕方なのでしょう。
 人は、辛く、苦しい、悲しい出来事は忘れるように出来ていると聞いた事があります。
 それでも、理性では「戦争の事は忘れちゃいけない」と知っているから、あの手この手の表現を使い、今の時代に戦争のことを伝えてくれているのだけれど、「ひろしま」を観てしまったら、今までに観た戦争映画はすべてフィクションのように想えてしまいます。
 それくらい衝撃的な内容でした。
 
 原爆投下から8年後の広島で撮られた映画。
 被爆者を含む約9万人のエキストラが出演した映画。
 小学生の頃、顔をしかめながらも眼が離せずに読んだ漫画「裸足のゲン」。
 その描写がそのまま映し出されているようでした。
 実際に原爆を体験した人たち、被爆者の姿を見た人たちが演じている映画です。
 当時の広島市長はこの映画の制作を知った時
「各家庭から最低一人はエキストラを出すように」
 と言ったそうです。

 肯定的な気持ちでなんて、観れやしません。
 でも、知らなきゃいけない。
 そして、これからの人たちに伝えなくちゃいけない。
 もっと知識が欲しい。
 伝える術が欲しい。
 想いだけじゃどうにもならない現実も、あるんだから。
 僕はもっと、知識が欲しい。
 ほんとうのことが知りたい。
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by pops-fabric | 2014-11-06 23:43 | お知らせ

 あぁ、そうだよな。
 僕は共有したいんだなー、と。
 色んな物事を、感じる気持ちを、起こった出来事を。
 タマネギをじわじわ炒めながら、そんな事を想っていました。

 最近よくカレーを作ります。
 いままで作っていたそれとは違い、最近はベジカレーに凝っています。
 カレーって、国民食って言えるくらい、ほとんどの人が幼少期から食べていると思う。 
 そして、嫌いな人ってあんまりいないと思う。 
 (僕の仲間で、カレー苦手なやついるけど)

 でも、嗜好や思想、体質の問題で、お肉や乳製品を食べる事が出来ない(しない)人たちがいる。
 いわゆる、ベジタリアンやビーガンと呼ばれる人たち。(認識違いがあったらごめんなさい。)

 そんな人たちとも、「食」の喜びを通して感覚の共有が出来たらどんなに楽しいでしょう。
 社会の中でマイノリティである彼、彼女たちを基準に、生きる事の根源である「食」を共有出来たら、どんなに豊かなことでしょう。

 僕はベジでもビーガンでもありません。
 お肉、食べたら美味しいって思うし、魚も相変わらずしっかり食べちゃってる。
 でも、それらを食べなくちゃ生きていけない訳ではない。
 タンパク質をどこから摂取するのかという話も在るとは思うのだけれど。

 カレーって美味しい。
 それこそ、飲み物かと思うくらいガブガブいけちゃう。
 スパイスの魔力? 
 ブレンドも色々、香りも色々。
 つくること全般に興味のある僕からしたら、カレーが出来上がる過程もとても気になる。
 飴づくりをしていた時から、今までずっとある気持ち。
 「人と共有したい」
 という欲。
 そうして僕は今、「さをり織り」をしているのだけれど、共有することの楽しさと難しさは常に隣り合わせ。
 だからこそ、共有する事に対する欲があるのかもしれません。
 感覚は人それぞれ違くって、価値観も違くって、味覚ももちろん違くって。
 でも、共有する事が出来る部分って必ずあると想うんですよねー。
 うん、あるよなぁ。
  
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