ハッピーバースデートゥーミーとありがとうあなた

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 人の誕生日はろくに祝った事も無い男でも、誕生日を迎えるとたくさんの人たちがお祝いの言葉を寄せてくれる訳で、いつもの仲間は家に呼んでくれて(ほんとは自分から押しかけたのですが、、、)美人の奥さんが美味しくて楽しすぎる手巻き寿司なんかを用意してくれて、しょーもないおしゃべりしまくるだけの予定が、楽しい食卓のおかげで大盛り上がりで久しぶりに大貧民(大富豪)なんて始めちゃって、、、
頭を使うゲームって楽しいですね。
大人の遊びだ。
 2015年は変化の年ですと言いふらし、ある界隈の仲間たちには「2015年、僕はメジャーに行きます」なんて大口かまして、それでも想いや願いは言葉にするべきだという持論から、はたまたなんでかそんな予感がしているという、相変わらずの根拠の無い(いや、そろそろそんな事無いのだけど)自信と共に、まずは見た目から変えようと、久しぶりの金髪にアッシュなんぞ入れてみて、そしたらオシャレボーイよろしくな感じになりすぎて逆に恥ずかしくなるという、意味の分からない悪循環?で伸ばしまくった髭を剃るという、意味不明の愚行にでたり。
 そしたら以外に「若くなったね〜」と評判良し?だったり、と。
 結局人生思い通りになる事なんてほとんどないのなら、それこそ、その時々の想う事を、それこそ馬鹿正直に、自分自身にどこまでも馬鹿正直に、物事を決め、動き、形にする。ということに突き進むのもまたひとつの正解なのだろう、と言い聞かせ、誕生日当日の夜は自宅でひとり、織りと向かい、タテ糸を創るという、これまたなんともありがたい暮らしを、日々を重ねています。

 頭の中垂れ流しで書くと、なんともどうしたものか、、、、な文章になるもので。
 それでも、浮かび、流れてくる言葉は止めどないもので、ならば出てくるものは出せば良い。ということで。
 さて、この人生の行き着く先には何があるのか。

 想いや、愛を感じる事がある度に、僕も人を想おうと、愛そうと。
 人を愛する事が出来る人間になろうと。
 理屈無しに感じるようになりました。
 それはきっと、僕に向けられる想いが、理屈無しのものだからなんですよね。

 生まれてから今まで、僕は田舎三人兄弟の末っ子で、両親からの、祖父母からの愛を全身に受けて育ってきました。
 この年になると、兄や姉からの、言葉にはならないような、でもそこにはちゃんと存在する、愛を感じるようにもなりました。
 そうして今、血のつながりのない、でも確かに繋がる「縁」と共にある方々との暮らしがあって、そこにもやはり、愛は存在するのだな、と。
 なんだかそんな気持ちでいます。

 いくつになっても男はやりっ放しで出しっ放しだと聞きます。
 それも分かる気がします。
 だったらそれを愛に変えてみたらいいね。
 与えっぱなしの、出しっ放しの愛って素晴らしい。
 見返りを求めない想いこそが、愛の形のひとつだと想っています。
 
 生きれば生きるほど、色んな事が見えてくるから、それこそ色んな人の想いも踏まえてしまったりするね。
 でも、出しっ放しでいいじゃない。
 そこに愛があるならば、結果なんて気にしなくたっていいじゃない。
 人を、モノを、形の無い何かを愛したという事実の充実がもたらす何かの大きさを僕は、僕らは知ってるはずさ。

 そして、僕にこんな文章を書かせているのも、みんなが僕に寄せてくれたハッピーバースデーのせいなのさ。

 ありがとう、みんな。
 ありがとう、あなた。

 みんなって言葉はあまり好きじゃないけれど、なんだか今日は使っていい気がしています。

 だから言うよ、ありがとうみんな。

 なんだかたーっくさんの人に愛されている凄い人みたいだ。

 でも、いいのいいの。

 大切な事はいつも、ぼくのこころのなかにあるから。
 それを決めるのは、いつだってぼくのこころだから。

 珍しく、20時頃に佐川さんがやってきました。
 京都からの贈り物でした。
 僕はお酒が大好きです。
 びっくりしすぎて笑っちゃいました。

 32歳の僕は、みんなのおかげで、去年よりももっと、人を想える人間になれそうです。
 そう想える事がふんわりと嬉しい。

 ありがとうございます。

 そうしてまた、僕の背筋はぴしっと伸びて、精進の日々は続くのだ、と。

 変わらず日々は続くのだ、と。

 想いは繋がり、繋げてゆくのだ、と。
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by pops-fabric | 2015-01-06 23:53 | 日常のこと