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器のこと。


 僕が器に興味を持つようになったのはいつからでしょうか。
 明確に覚えているのは、中園晋作さんの器に出逢ってから。
 そして、mist∞という空間に、存在に出逢ってから。
 そもそも、ぼくはなんでこんなにも器に、mist∞という場に想いを馳せるようになったのか。
 それはこのブログからでした。
 今読み返せば、なんやサラリと読めてまうやないかい、なのですが、当時の僕はなぜか涙ぼろぼろ流しながら朝っぱらにこの文を読んで、そこに確かな愛の存在を感じ、mist∞という場に通うようになったのです。
 そうして、数あるモノ、場の中から、僕なりに意味を見出し、mist∞で購入する、という事にすら価値を感じ、器であり、お箸であり、籠であり、水筒であり、そこにモノがある限り、存在するであろうつ創り手の「想い」にも想いを馳せるようになったのです。
 それはもちろん、僕も創り手の一人ということも関係しているのだろうと想います。
 だからこそ、人の手の痕を感じる、意志を感じるモノに魅かれるようになったのだと、想います。

創ること、生きること、これはもう、完全にイコールで結ばれています。
何も、モノに限った事ではなくて、「何かを産み出す」こと。
それは、無意識でも人間それぞれがしている事なんですね。
日々の食事ですら、「創ること」だと感じています。
そこに意識を向け、想いを人一倍傾けるのが僕たち創り手であるだけで、みんな誰もが生産者なんだと。
そう感じています。
そうして「自ら産み出す」ことの楽しみを知ってしまったら最後、循環型社会形成の一員にもれなく仲間入りですよもう。

 何が良いとか、悪いとか、合うやら合わないやら、それはみんな個人が決めたらいいんですよね。
 自分自身の価値基準で。
 自分の肌と、自分の暮らしと、自分の「今」と「これから」に寄り添う形をそれぞれに見つけられたらいいんですよね。


 器と僕と。
 僕はこれからどうやって生きて行くのか。
 必要な物はそんなに多くない。
 それでも、手にしたい器がある。
 モノがある。
 それは物欲なんて一言じゃくくれないほどの、僕の欲求なんだと想います。
 そうして選んだ器を手にすること。
 大きな経験値となっています。
 
 まだまだ先は長い。 

 僕自身の器もまた、不確定要素の多い形で在ります。
 それを「可能性」と呼べたなら、
 僕はまだまだ何者にでもなれるし、どこまでだって行ける。
 
 そう想っています。




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